2004年7月8日 初めての富士山(富士宮ルート) [富士宮口]
初めての富士山。
2004年のある日、暇つぶしでインターネットを眺めていて”とあるページ”にたどり着いた、[後悔しない富士登山]。
このページとの出会いが休日でも滅多に外出しない "超インドア派" の私を富士山に登らせる事になったのだった。
後悔しない富士登山を読んだ翌日、他の富士山関連ページ等も参考に準備を整える・・・が、2度と使わないかもしれないのに本格的な物を買う余裕は無く、近くの登山用品店でストックを買うに留まる ”シナノ サントレース3YM ” かなりベーシックな物だが以後もずっと愛用している。(とても有効ですよ。)
あとは通勤用のリュックにミドルカットのウォーキングシューズ、妙な帽子に綿のTシャツ、その上に長袖シャツ、下はGパンだ(動きにくい事は承知していたが他に持っていなかった)。
リュックの中に替えのTシャツ、タオル、上下セパレートの透明カッパ、防寒用の厚手のスウェット、芯を抜いたトイレットペーパーとガムテープを少し、行動食としてキャラメル等のお菓子、非常用に小さな懐中電灯とカロリーメイト、携帯電話、カメラ・・そして迷ったのがどれだけの水を必要とするかだったがリュックの外側に500mlのペットボトルをぶら下げ、中に1Lのペットボトルを入れた、私は汗っかきだが日中ならば山小屋で買える事は分かっていたので足りなくなったら買えば良いと思った。(結果:下山時に500ml1本を買い足し)
(その後は必ず2L以上持ってゆくようになった。)
休みはあと2日、決行は翌日、天気予報は快晴。パンパンに膨らんだリュックを枕元において早めに就寝。
翌朝、5時に起床し車を走らせる。天気は上々、7時半に富士宮口5合目駐車場に到着、御来光組が5合目に下山してくる時間だったので入れ替わるように良い場所に駐車できた((`・ω・´)計算通り!)。
高度順化の為1時間くらいこの場にいるつもりだったが、結局気がはやって8時前に出発。
天気が良いのでウキウキしながら登るがのっけから結構きつい(笑)
でも当時はまだ30代半ばでパワーがあったのでぐんぐん登る、20分くらいで6合目雲海荘を通過。
ところでこの日は日米親睦登山でもあったのか自衛隊員とたくさんの米兵の姿が・・小グループに分かれて登っているアメリカの兵隊さんたちは全員重そうなリュックを背負っている事もあり私と同じくらいのペースで登っている(自衛隊は地元富士の人らしく遥か前方、流石)、で米兵さんたちは皆多少広いところに着くたび、その場で私が追いつくのを待ち「オサキニドーゾ」と言って道を譲ってくれるのだが、もともとほぼ同じペースで登っていたので結果的にペースアップを強いられる羽目に(笑)。
「サンキュー」以外に「かまわず先に行ってくれ」という言葉も覚えておくんだった・・・。
その後も富士山に行くたびに『英語が話せたらなぁ〜』という思いをしている。
タイムスタンプによると”新7合御来光山荘” まで1時間で到着、とにかく暑くて汗だくだったのを覚えている。
休憩のたびに”息を深く吸い込んで肺の中に圧力をかけるように閉じた口から息を吐き出す”という呼吸法を5分間行い(プーとかピーとかいうけど(笑))高山病を予防。
そのせいか今まで高山病になった事は無い。
その後30分程で人生初の3000M越え、嬉しかった。
さらに30分、登り始めから2時間15分程で8合目へ、駐車場は遥か下に。
さらに1時間10分程で9合5勺”胸突山荘” ここからがキツイ、最後の一踏ん張り。
そして登り始めから丁度4時間、富士宮口山頂に到着。とにかく暑くてGパンもTシャツも汗びっしょりだった。
テレビや雑誌でしか見た事が無かった光景、嬉しかったなぁ〜。
その後、富士山には何回も登っているが このとき見た景色が一番きれいだったかも知れない。
そしてGパン、スニーカーで登ったこのときが、今にいたってなお所要時間最短記録なのであった。
すぐそばの”頂上富士館”で昼食、山頂郵便局は残念ながらまだ開いていなかった。
腹ごしらえを終え、日本最高所をめざし剣が峰へ出発、馬の背が滑ってきつかった。
剣が峰到着、この当時はレーダーこそ撤去されたものの測候所は現役で職員の方が「おつかれさまでーす。」と挨拶してくれました。
そして、測候所脇のはしごを登ると小さな展望台、当時は入る事ができました。
たっぷり頂上を満喫したあと下山開始、ほとんど写真を撮っていなかったので詳しくは分からないけど2時間半くらいかけた模様。
下界は雲の中。
5合目は完全に雲の中、運転はなかなかスリリングだったけど大満足の1日でした。
富士山以外の山にも興味が出て来た方はコチラもどうぞ。
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